5月16日と17日に行われた祭りは、17日の午前中に雨が降りましたが無事終わりました。
遅くなりましたが、かわら版京町2をアップします。
そもそも、日枝神社の祭りは、「豊作を願ってのもので、雨乞いの祭り」といったことを耳にしますが、日枝大神社のしおりには次のように書かれています。
日枝大神社の御由緒と沿革
西暦948年(2年)に京都比叡山からを(移しまつる)したもので,山王権現と号し,と称しました。御祭神は,で山の神です。世に山王とも言われています。明治6年に日枝大神社と改められ,例大祭も4月中のの日から5月15日(現在は,5月の第3土・日)と定められました。
例大祭の口伝え
「竹の子祭」;ちょうどお祭りの頃になると,よい筍が採れるためたくさん奉納され,神前に飾られたことからこのように呼ぶお年寄りがいます。
「小田の祭は雨が降る」;日枝大神社のお祭りは昔から雨が多いように記録されています。昔は氏子のほとんどが農家だったので,お百姓さんにとって雨露の恵みは大切なもので,これも山王さまのお陰と喜ばれたようです。
《「日枝大神社のしおり」から》
西暦948年(2年)に京都比叡山からを(移しまつる)したもので,山王権現と号し,と称しました。御祭神は,で山の神です。世に山王とも言われています。明治6年に日枝大神社と改められ,例大祭も4月中のの日から5月15日(現在は,5月の第3土・日)と定められました。
例大祭の口伝え
「竹の子祭」;ちょうどお祭りの頃になると,よい筍が採れるためたくさん奉納され,神前に飾られたことからこのように呼ぶお年寄りがいます。
「小田の祭は雨が降る」;日枝大神社のお祭りは昔から雨が多いように記録されています。昔は氏子のほとんどが農家だったので,お百姓さんにとって雨露の恵みは大切なもので,これも山王さまのお陰と喜ばれたようです。
《「日枝大神社のしおり」から》
0 件のコメント:
コメントを投稿